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朝日新聞デジタル:(銚子電鉄から見た震災:4)本銚子駅→銚子漁港ゆき - 社会


 【若松真平】無人の本銚子駅に降り立つと、ランドセルを背負った子ども5、6人がじゃれていた。通学に銚子電鉄を使っているのだろうか。「こんにちはー」と大きなあいさつ。こちらもあいさつを返して、漁港へ向かった。



 港町の通りは、軒先に干物が干してあるかと思えば、電柱には洗濯物が干してある。しばらく歩くと利根川河口が見えてきた。銚子漁港は、魚種などで第1、第2、第3と三つに卸売場が分かれている。川に沿った道路を東へ歩き、第3卸売場に着いた。



 震災当日、第3卸売場では、ヤリイカの入札が行われていた。市場で魚を買い付けて、地元の魚屋や首都圏の業者などに売る仲買人たちが、品定めをしながら金額を書き込んでいたとき、大きな揺れが襲った。銚子電鉄外川駅近くにある島長水産の社長、島田政典さん(52)に当時の話を聞いた。



     ◇



 島長水産は鮮魚だけでなく、生きたままの活魚を仕入れて販売するのが強みだ。この日はホウボウやヒラメ、タイなど500キロを買い付けて、地元の外川漁港のいけすに入れていた。道路を挟んで向かいにある建物には、タコなどの魚介類があった。



 銚子漁港でヤリイカの入札に参加していた島田さん。揺れが収まって、まずとった行動は?



 「外川に戻りました。活魚が心配でしたから。津波のことはまったく頭になかったですね、あのときは」



 しばらくして、外川漁港の水面が次第に下がっているのに気づく。ついには底が見えるほどになった。津波の予兆だ。



 昔、地元のお年寄りから「ここまで津波が来たんだ」と教えてもらった場所がある。そこより高いところへ向かって坂を上り、海を眺めていた。



 ゆっくりと水位が上がる。港を超えて、道路が水浸しになった。想像していたザバーンという白波もなく、水が引いてはあふれるのを3回繰り返した。



 もう大丈夫だと思い、いけすがある建物へと下っていたとき、西の方からゴゴゴゴゴ……という地鳴りのような音がした。車やボート、がれきを巻き込んで津波が押し寄せていた。



 大急ぎで坂を上って難を逃れた。いけすがある建物を津波が襲った。シャッターを閉めていたが波が入り込み、引き波がシャッターを引きちぎった。港に止まっていた数十台の車が沈んでいくのも見えた。活魚は全滅、魚だけで1千万円を超す被害だった。



     ◇



 震災後、仕事にどんな変化があったのか?



 「地元ホテルからの魚の注文が途絶えました。追い打ちをかけるように『銚子の魚は事故のあった福島第一原発に近いから危ない』といった風評被害。目の前にいい魚があるのに買えない。目利きが命の仲買人にとって、これ以上くやしいことはなかったよ」


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